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黎明に波

 まるで、早送りを見ているかのようだった。  めいっぱいオレンジ色の膨らんだ空に光が射し込んだ瞬間、ぱあっと辺り一面が輝いた。そうして、空と地球の分かれ目から、舞台の幕が上がるように、薄い青色が広がっていく。 「これが見たかったんじゃ」  くらくらと麻酔から醒めない脳に、辰馬の声が溶ける。そっと体重を預ければ、辰馬もこちらに寄りかかってきた。 「ねえ、ほんとによかったの」 「何がじゃ」 「黙って、抜け出して」 「アッハッハ、陸奥に怒られるのー」 「うん駄目だね聞いた私が馬鹿だったね」  快臨丸では今頃、辰馬が居ないことに気づいた誰かが騒ぎ出しているだろう。スマホも、きっとすぐ陸奥からの着信で一杯になる。  でも、今日くらいは、許して欲しい。今日一日、その始まりだけは。 「一緒に怒られてくれるんじゃろ」 「辰馬、いつも逃げるじゃない」 「今日は気分がええがじゃ、後でいくらでも怒られちゃる。それに」  辰馬の腕が、私の腰を捉えた。更に近くに感じて、寒いはずの外気温に疑問を持ち始める。今年一番の冷え込みだなんて、きっと嘘だ。 「今だけやき、おまんと離れとうない」 「……はいはい」 「照れちょるがか」 「るっさい」  本当なら、一日中一緒に居る予定だった。玄関で辰馬を出迎えて、ぎゅーっと抱きしめて、ダラダラして、日付が変わるまで眠らないつもりだった。知らないだろうけど、辰馬がいつも美味しいと言ってくれる手料理も、いっぱい作るつもりで、野菜もお肉も買い込んだ。  ――けれど、そうも言っていられなくなって。  社長の仕事が大切だということがわかっているから、辰馬の、大きな未来を見つめるその目が好きだから、引き止めることなんてできない。  わがままを言えない私は、自分への精一杯の抵抗として、ちょっぴり髭の伸びた頬に唇を押し付けた。 「ほら、いってらっしゃい」 「行ってくるぜよ」  辰馬は躊躇いもせず、唇を重ねた。  半ば追い出すように見送ってから、私は冷蔵庫の中身を思い出し、ため息をついた。  ケーキ、ホールで買っちゃったんだけど、どうしようかな。
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