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邪道に土砂降り

 坂本辰馬に休日はない。  いや、もちろん会社規定の休日は存在する。けど、奴にとっての休日は、往々にして「休日」ではない。ショッピングに行けば、ついでになくなりかけた消耗品を購入。テレビを見れば、商材を見つけてすぐさまアポ取り。終いには、私の仕事を奪って「わしの仕事やないきに、こりゃあ……ほうじゃ、遊びぜよ!」なんてのたまってくれる。いやいや、遊びで取引先に在庫確認する社長がどこにいる。ここか。居たわここに。やめたげてね、担当者くん小心者だから。また胃に穴開けちゃうから。  話が逸れた。つまり、私が問題視しているのは、あいつが「坂本辰馬」でなくなる瞬間が存在しない、ってことだ。  ……まあ、あいつがあいつである限り、どうしようもないことなんだけどさ。悔しいことにそういうところに惚れてしまったし、全部ひっくるめて愛してしまっている。けど、私はどうしたって平凡な人間だから、ちょっとくらい休ませてあげたいと思ってしまう。そう、例えば、背後からバールのようなもので殴ってでも。目覚めなかったら困るからしないけど。……いや待てよ。つまり、加減すれば何も問題ない。もしかしたら、意外と名案かもしれない。
「というわけよ」 「アッハハハ、こりゃあ一本取られたぜよ」  殴るのは正直自信がなかった。そもそも身長足りないし、力で勝てるはずもない。ならば、自分が持っている武器で勝負するほかない。そう考えた私は、休日で帰ってきた辰馬をベッドに座らせ、笑顔で押し倒(タックル)して拘束した。誤解なきよう言っておくが、そういう趣味はない。拘束具なんてものもないから、その辺にあったカーテンまとめるやつで腕をぐるぐる巻いただけだし。辰馬は意外にも抵抗することなく、されるがままになってくれた。 「今日一日、辰馬には何もしないでもらうからね」 「困ったのう、コハクといちゃいちゃしたいんじゃが」  うぐっ、と言葉が詰まる。いやいや、絆されちゃだめだ。そうやって、いっつも辰馬のペースに引き込まれてしまうんだから。私はちょっと考えて、口を開く。 「……じゃあ、日が暮れるまでね」  思わず妥協してしまった。だめ、って言うつもりだったのに、喉まで出かかっていたのに、辰馬を見た瞬間、声が勝手に言葉を作っていた。もう昼過ぎなんだから、日暮れまで数時間しかないのに。まったく、年々辰馬に溺れていく自分が怖い。  さて、こいつに何も考えないでもらうには、外界をシャットアウトせねばならない。だから、できることと言ったら、私とのおしゃべりくらいだ。私は遠慮なく辰馬の隣に寝転がって、頭の位置を合わせた。普段は身長差があるから、こんなに近くで話すことは少ない。……夜はまあ、アレだけど、あれは会話じゃないからノーカンで。 「ねえ、ちょっと痩せた?」 「コハクはふっくらしたにゃあ」 「誰のせいだと思ってんのよ」  軽くほっぺたをつねるけれど、辰馬はへらへらと笑ったままだ。  辰馬は向こうから、お土産と称していろんな美味しいものをたくさん送ってくる。それどころか、帰ってきたら帰ってきたで、デートと称して美味しいものを食べに行く。捨てられるはずもなく、食が進まぬはずもなく、そして拒めるはずもなく。 「わしはちっくとやりこい方が好きじゃ」 「限度があるでしょ」  こいつは私の努力を知らないから、こういうことを平気で言う。今日の夕飯予定のハンバーグだって、私流の野菜たっぷり豆腐入りハンバーグだ。  そんなふうにだらだらと喋り続けて、ふと言葉が途切れた。  何か話さなきゃとか、そういった焦りは不思議となかった。私はそのまま、辰馬の肩に頭をくっつける。――ああ、言うなら、今かもしれない。 「ごめんね」  ほんとに、ちゃんと、わかっているのだ。こいつにとって「坂本辰馬」で在ることは、重荷どころか苦ですらない、なんてことは。オンとかオフとかいう問題じゃない、素がそれだから、疲れるとかもない。だからこんなのは、完全に私の我儘だ。そこまで理解していながら実行に移しているのは、単なる甘えだ。  そう、私は今まさに、辰馬に甘えていた。 「なんじゃー、寂しかったがか」  たぶん、当たりだ。辰馬を心配しているのは本当だけど、いつもの私なら、こんなふうに一方的に押し付けたりなんかしない。 「……慣れたと思ったんだけどなあ」 「わしは嬉しいきに、大歓迎ぜよ」  そう言って、辰馬は私の頭に頬を寄せる。あったかい。そうやって辰馬は、いつも私を許してくれる。何でこのひとは、こんなにも度量がありすぎるのか。 「辰馬は、私に甘すぎる」 「ほりゃあ、わしの奥さん可愛いんじゃもん」 「いま、わたし、かわいくない」 「かわえい」  辰馬はきっぱり言い切ると、もぞもぞと動き始める。何、と思ったら、縛られた両腕をがばっと上げて――隙間に、私をねじ込んだ。 「うわっ」 「アハハハ、ちっくと狭いのう」  辰馬は悪びれもせず、私の身体をぎゅうぎゅうと締め付ける。声が彼の胸から響いてきて、私の耳を支配する。 「コハク」  名前を呼ばれただけで、顔が熱くなる。 「おまんは離れちゅう間も、わしのことばぁずーっと考えちょったっちゅうことじゃろ、ほがなん、可愛いだけじゃ。わしはほんに、幸せもんぜよ」  ――そんな。そんな、本当に満たされたような声で言われてしまったら、私はこの罪悪感をどこに持っていけばいいのか。 「……たつま」 「ん」 「好き」 「わしもじゃ」 「ぜったい、離婚してやらないんだから」 「望むところぜよ」  結婚したときは、絶対今が幸せのピークだと信じて疑わなかった。あれから、何度幸せのピークを超えたか分からない。私は一体この人に何度惚れ直せばいいのだろう。その辺りに関しては、たぶんもう諦めたほうがいい。土砂降りのように容赦なく与えられる愛に、降参するほか手立てがない。まったく本当に、どこまでもずるい人だ。
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