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私の姫に祝福を

 やはり、分不相応だったのだ。暖かい空気で風船のようにぱんぱんに膨らんでいた私の胸が、一気に氷水で冷やされたような気がした。  ミハルトくんを探して入城した私が目にしたのは、素敵なドレスに身を包んだお姉様方に囲まれて、優雅に微笑む彼だった。その手には、有名ショコラティエの宝石みたいなチョコレート。対して私が手にしているのは、ラッピングまで不格好な、手作りのハト型チョコ。市販の安売りされているものを、溶かして固めただけの。出来上がったことに舞い上がって、そのまま急いで来てしまったから、服だってきらびやかでも何でもない。そんなみずぼらしい出で立ちの私が、あのきらきらした騎士様に、ヴァレンティーナのチョコなんて渡せるわけがない。  ミハルトくんの視線がこちらに向きそうになったのに気づいた私は、慌てて物陰に隠れると、思わず走り出してしまった。当てもなく、ただその場から逃げたくて。 「……はぁ」  結局、庭まで出てきてしまった。暦の上では春とはいえ、まだまだ吹く風は冷たい。もう少し厚着してくればよかったかな、と今更ながら後悔しつつ、マフラーに顔を埋める。椅子を探すのも面倒になって、芝生に足もチョコの箱も投げ出した。  幼い頃はよかった、と、成長して初めて思う。だって、容姿とか身分とか、全然気にも留めてなかったから。  今なおミハルトくんをミハルトくんと呼べるのも、城に出入りする自由が利くのも、親が貴族階級に属しているおかげだ。けれど、もう少し上だったなら、と夢見ずにはいられない。だって、彼と噂になる令嬢は、いつだってもっと上流のお姫様だったから。ただの昔馴染みである下流の私には、恋する権利さえない――そんなふうに突きつけられている気がして、彼と令嬢の噂が流れるたびに、喉の奥が詰まったような感覚に囚われた。泣きたくて苦しくて、でも、どうしようもない。そもそも、選択肢すら与えられないのだから。今回だって、たまたま今年はフリーだと聞き及んだから、いそいそとチョコ作りに励んだにすぎない。期待なんて、していない。  そうだ、結局渡せなかったチョコレートはどうしようか。もう自分で食べてしまったほうが早いだろうけど、想いだけは一丁前にこもってしまっているから、ちょっぴりもったいない。幸い多めに作ってしまったし、一度屋敷に戻って袋に詰め直して、お世話になってる第二騎士団の皆さんにでも食べてもらおうか、と考えて立ち上がったそのとき。 「コハク」 「ひゃっ、えっ」  頭の少し上から聞こえたその声は、聞き慣れた彼のものだった。  なんで、どうして。脳内をぐるぐると巡る疑問など知らないミハルトくんは、「ああ、またこんなに芝だらけにして」と無遠慮にスカートをポンポンと払う。そして、優雅に私の手を取るまでの流れるような仕草に見とれているうちに、いつの間にかどこかの部屋へとエスコートされてしまっていた。  扉は静かに閉じられた。ああ、もうこれは逃げられない。観念して、彼の引いてくれた椅子に腰掛けることにした。  ミハルトくんは、立ったままだ。彼にじっと見つめられて、何か言わなきゃと焦るけれど、そう思えば思うほどに言葉が絡まってしまう。視線がどんどん下がっていって、うつむいてしまうまでにそう時間はかからなかった。すると、ミハルトくんは私の頭に手を乗せて、「怒ってはいない」と優しい声で言ってくれた。 「オレが、静かな場所でお前と話したかっただけだ」  ああ、この。私の前でだけ変わる一人称が、昔からずっと大好きだった。  そっと彼を見上げると、見慣れた穏やかな表情。ふわっ、と、冷えていた指先に体温が戻る。 「で、今年はくれるのか」 「単刀直入にも程がある!」  思わず素で返してしまった。いやでも今のはあっちが悪い。ミハルトくんはふっと笑って、「そっちのほうがお前らしい」と私の頬をつついた。でもおかげで、いつの間にか強張っていた体が解けたようだった。 「もうっ、そんなに言うんならあげないもん」 「それは困る、お前の菓子は美味いからな」 「……期待はしないでね」  少し曲がってしまったリボンを押し戻しつつ、箱ごと押し付けた。ミハルトくんは、不器用なラッピングを見ても、大切なものを貰ったかのようにそっと指で撫でてくれた。今食べてもいいか、と聞くので頷くと、嬉しそうに隣に座って、リボンを解いた。包装を破くことなく丁寧に剥がすところといい、さすかがお坊っちゃんだなと思う。とても良い意味で。そんなミハルトくんは、箱の中身を見るなり吹き出した。そして、躊躇いもなく、口に含む。 「なんだ、美味いじゃないか」 「ほ、ほんと?」 「オレは好きだぞ、ハト」  形が変わるだけで愛着が湧くものなのだな、なんて真面目に感心しているから、これ以上自分を卑下することすらできない。たまにデリカシーがないけれど、ほんとうに彼は、ただただ素直なひとなのだ。  ――きっとミハルトくんは、私が見ていたことにも気づいてた。そのあと、逃げたことにも。けど、それを咎めないのは彼の優しさだ。わざわざ二人きりになってくれたのも、上流貴族のお姉様方の目から隠すためだろう。きっと彼は、その気遣いを息をするレベルでやってのける。もしかしたら、そんな彼の優しさにいつも甘えるだけの私だから、彼の恋愛対象にはなれないのだろうか。 「ごちそうさま。残りは後で大切に頂こう」 「疲れたときにでも食べてね」 「ああ。ありがとう、コハク」  でも、気楽に名前を呼ばれるのは、きっと私だけの特権。  再びエスコートされて室外に出ると、すっかり太陽は真上に来ていた。 「では、私は詰め所に戻る。一人で帰れるか?」 「うん、大丈夫だよ。気をつけてね」 「ああ。……なあ、コハク」  私の方に向き直ったミハルトくんは、何だか神妙な顔をしていた。首を傾げると、彼はまっすぐ私を見つめる。 「あと三人」 「え」 「オレはどうやら、女性から好まれることがないらしい。だからきっと、一年もあれば向こうからフラレるだろう」  ええと、それはどういう意味なのだろう。困惑しているうちに、ミハルトくんは跪いて、私の左手は彼の手の中。とく、とく、と心音がやたらとよく聞こえる。 「もし、上手く行ったら。来年は、オレからお前にバレンティーナのチョコを贈ろう」  そうして彼は薬指にキスを落とすと、ばさりと上着を翻し、少し足早に去っていった。  そうして、私は次のバレンティーナに全てを知ったのであった。生真面目な彼が貴族からの求婚に逆らえなかったこと。私の身分も考えたら、外面的にも迂闊に愛を乞えなかったこと。どうやら女性に好かれないようだから、それを利用して全員からフラレてしまえばいいと考えたこと。全員にフラレたのなら、もう外面を考える必要はないこと――等々。  へなへなと座り込んでしまった私に、ミハルトくんはチョコレートと、特上の言葉をくれたのだった。 「オレの姫になってくれるか、コハク」
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