朝ぼらけ
――うわ。
目の前の美形に思わず息を呑む。いつもはグラサンに隠されている睫毛も、一本一本を視認できる距離。柔らかそうな頬は、悔しいことに私よりも綺麗だ。むっとして、悪戯心に軽くつねってみる。眉間に少しだけシワが寄ったけれど、起きる気配はなかった。まったく、朝から心臓に悪い。
もう何年も一緒に居るのに、困ったことに慣れる気配がない。私が、思わず目を逸してしまうから、というのもあるけど。コイツが寝ている間でもないと、まじまじと見られる機会はない。
さてこの男。坂本辰馬という男は、全体的にズルい。
例えば、困ってるときにタイミングよく現れてくれたりとか。居酒屋の前でおっさんに絡まれたとき、助けてくれたのはかっこよかった。バッグから盗聴器が出てきたときは遠慮なくグーパンした。
例えば、イライラしているときでも、声を聞くだけで有象無象がどうでもよくなってしまったりとか。おかげで、勝手にシュークリーム食べたこともうっかり許してしまった。奴のカラッとした笑い声に勝てるものなどない。
そして例えば、女好きだったのが一途になってくれたりとか。どこの少女漫画だよ、って突っ込みたくなるけど、実際に体験してみると破壊力がすごい。さすがその顔で女を釣ってきただけはある。あと優越感がすごい。
そんな奴に運悪く捕まってしまった私だけど、最大の問題は、なんだかんだ後悔していないという点だ。
そのまま軽く伸びをして、時計を左手に掴む。11月15日、午前7時53分。よし、二度寝ワンチャンいける。じゃなきゃ、何のために2日も休みをもぎ取ったんだ。
たんっ、と勢い良く定位置に戻すと、時計と何かが当たってカチンと音を立てる。それでようやく、その手に見慣れないものがあることに気づいた。薬指に、シルバーの控えめな輝き。……えーと?
「渡し損ねちょったき」
「うわっ」
起きてたの。目を丸くして振り返れば、辰馬はおもむろにまぶたを上げた。
「すまんの、こじゃんと遅くなったけど」
「いらないって、言ったのに」
「わしが贈りたかっただけじゃ」
嘘だ。大方、私が無意識に指輪を目で追っているのに気づいたんだろう。コイツはほんとうにこういうところが、お節介というか気障ったらしいというか。
「でも、仕事のときとか、つけておけないし」
「えいよ」
「もしかしたら、失くしちゃうかも」
「そん時はそん時じゃ」
ああ、もうひとつ。
例えば、言い訳ばかりな私を誘導して、本心を暴いてしまうところとか。どうして、コイツはこんなにズルいのだろうか。
「ほうでも、持っておいてくれんかの」
そんなことを言われてしまったら、頷くしかない。
観念した私は、それでも小憎たらしい頬をつねらずにはいられなかった。