文字
行幅

あなたと宇宙が見たかった、だけ

「おまんは」 「ん?」 「宇宙に行きたいとは、思わんか」  その言葉を聞いて、私は手に持ったリップを座っていたソファに落としてしまった。  宇宙を飛び回っているこいつ――坂本辰馬と地球人が直接会える機会はとても少ない。それは恋人である私も例外ではなく。隣にだらんと座る辰馬は、何も考えていないように見えた。けれど、サングラスを外した目は、どこか遠くを見ていて。 「なに、来てほしいの」 「……どうなんじゃろうなあ」 「おい、自分から聞いといて」  リップを拾い上げる。その手が、大きな節ばった手に包まれた。 「ただ、好いちゅうおなごが四六時中、自分の傍に居るゆうがは、どんな気分かと想像しちょった」 「浮気はするくせに」 「あっはっは、心はおまんに一途ぜよ」  せめて否定せんかコノヤロウ。  ちょっとささくれ立って、手を振りほどくと、雑にリップを小物入れに投げた。ナイスシュート。 「おまんに任せちょったトコも一段落ついたろう。そろそろえいかと思っての」 「なにが」 「ちくと早いけんど、誕生日プレゼント。ねだってもえぃがか」  時計の針はまだ重なっていない。けれど、あと、ほんの数度傾けば。 「なあに、まさか婚姻届とか取り出して『これに記入しとおせ』とか」 「……そのまさかのつもりだったんじゃが」 「えええ……」  ぴらんと胸元から取り出したのは封筒。というか部屋に上がった時からコート脱がないなあと思ってたけど、そのためだったんかい。 「うわー、ないわ」 「あっはははは、引かれてしもうたぜよ」 「引いた、ドン引きだわアホ」 「……本心は」 「遅い」  ようやく着物一枚になった辰馬にぎゅうと抱きつくのと、時計の針が重なったのは、ほぼ同時だった。
「今日からなんじゃな」 「あ、むっちゃん」  船に乗り込んで最初に声をかけてくれたのは、むっちゃんこと陸奥だった。  むっちゃんとは辰馬経由で知り合って、何度か船にも乗るうちに、歳が近かったこともあり仲良くなった。以来、江戸で遊んだり、たまにメールしたりしている仲だ。 「といっても、1ヶ月だけね。あとはまた、地球で仕事することになったの」 「知っちゅう。ハネムーン代わり、じゃろう」 「そうそう。だからほら、荷物少ないでしょ」  小さなキャリーバッグに目を落とす。結局これで足りてしまった。数日分の着替えと、化粧品と、あと諸々。それだけ。 「これからしばらくはしっかり辰馬の手綱握ってるから、むっちゃんも安心しててね」 「ん? 何がじゃ」  むっちゃんが少し首を傾げる。 「何がって、ほらあいつ、女癖悪いでしょ」 「それはおまんと付き合う前の話じゃろう?」 「……え」 「なんじゃ知らんかったがか、あいつはおまんと付き合ってから、一度も女と会っちょらんぜよ」 「そうなの?」 「そうなんじゃよ」  あいつはアホじゃき、おまんしか見えなくなってしもうたんじゃな。なんて真顔で言うから、私は少し照れてしまう。いや、何あいつ相手に照れてるんだ私は。心の中で取り繕うけれども、頬の赤みは取れなかった。 「なんにせよ、あの馬鹿はおまんの言葉なら聞くじゃろう。いざというときはちくと協力してもらうぜよ」  そう微笑むと、むっちゃんは奥へと消えた。  ……なんだよもう、否定しなかったくせに。  会ったら思い切りほっぺたつねってやろう。そう決心して、辰馬の待つ、そして私がしばらく暮らす部屋へと向かった。
keyboard_double_arrow_leftback