ラブコール!
1. きっかけ
きっかけは、本当にぽろっと零れた言葉だった。
「すき……」
「へ?」
しまった、と思ったのは、リーバー班長が呆けた声を出してから、たっぷり数秒後だった。
そのときのわたしは、ミスをして他班の人に怒られていたところだった。そこにリーバー班長が現れて、庇ってくれたのだ。それまでわたしは長々とひたすら怒られていただけだったのに、班長はさっと代替案を出して、スケジュールの調整までしてくれて。それが一瞬で終わってしまった。
当時のわたしにとって、それはまるで魔法のようで。元々あったリーバー班長への憧れが、仄かな恋心の種に成長してしまったのは、仕方のないことだと思う。
怒っていた相手が去った後、リーバー班長は少し怖い顔をしていて、でもそれは相手にも、わたしにも向いていなかった。
――どうして。どうして、あなたがそんな顔をしているの。なんだか、自分を責めているみたいな。
「いいか、こういうことになるんだよ。覚えとけ」
言い終わってわたしに向いた顔は、微笑んでいて。
悔しい、と、咄嗟にそう思った。
だってわたしは彼と同じフィールドにすら立てていない。現状、まったくもって雲の上なのだと、そう痛感してしまった。でも同時に、その距離が許せなかった。彼の隣に立てたらどんなにいいだろうと夢見てしまったのだ。それは、ついさっき根が生えただけの恋心が、にょきっと土から顔を出した瞬間だった。
だから、あんな言葉を口に出してしまったのだけれど。
出てしまった言葉は取り消せない、なら仕方ない。わたしは開き直るのが得意なのだ。
「リーバー班長、わたし、あなたを好きになりました」
「は?」
「これから頑張りますから、見ててくださいね!」
それから、わたしの班長ラブ生活が始まったのだった。
「リーバー班長、今日も大好きです!」
「はいはい仕事しろ」
「さっき先日のデータ出たのでどうぞ」
ばさっ、と資料の束を置くと、リーバー班長は頭を抱えた。
「しまったコイツ仕事はできるんだった……!」
「ふふん、そうしてくれたのはリーバー班長ですよ」
「そうだけど……!」
実際わたしはとても頑張った。本部に入りたての若芽から、枝を伸ばし、葉を増やし、花もたくさん咲かせたのだ。それもこれもリーバー班長が仕事に関しては至極真っ当に指導してくれたおかげだ。まあ、正面から愛を告げるわたしを常に半目で見ていたけれど。
「でも、リーバー班長は変わりませんよねぇ」
「オレ?」
「だって、わたしからの告白なんて受け流しとけばいいのに、毎回律儀に照れてくれるんですもん」
そう、最初のあのときから。
見ててくださいね、と言った後のリーバー班長のほっぺたは、ほんのり赤く染まっていた。そして今までも、まさに今も。リーバー班長は、なんだかんだわたしの告白を正面から受け取ってくれていた。
「照れてない」
「またまたぁ」
「ねえって言ってんだろ! ほら仕事戻れ!」
そんなこと言って、満更でもないんじゃないのかなぁ、なーんて期待してしまう程度には、リーバー班長のほっぺたは綺麗に染まってくれていた。
――そして、その照れが本当に無自覚だったことを知るまで、もうすこし。
2. 無自覚
「そういやリーバー班長、まだコハクと結婚しないんスか?」
「……は?」
食堂へ行くと科学班員のラウルを見かけたので相席した。そうしたら開口一番これだった。まさか班員が勘違いするレベルまで来たのか、コハクのアレは。そろそろ本気で釘を差しておくべきだろうか。
「そもそもコハクとはそういう仲じゃねーぞ」
「いやいや照れなくていいっスすよ」
「照れてねぇよ。何で皆そんな風に言うんだ……」
ラウルはパスタを一口含むと、ゆっくり咀嚼して、飲み込んで。
「……え、マジすか」
「そんな驚くようなことか?」
ラウルは信じられないような目でこちらを見ていた。いや何でだよ。
「だいたい上司と部下だぞ」
「だってあんなに――」
「リーバー班長、ラウル」
その声に顔を上げてみれば、話題のコハクがそこにいた。
「おーコハク、いいところに!」
「相席いい?」
「俺はいいよ。班長もいいっスよね?」
「……ああ」
ニコニコと対面に座るコハクの手にあったのは、中華まんらしきものが数個と、フルーツの乗った皿だけだった。それだけか、と問えば、デザートだと言う。若ぇな、と呟くラウルに、コハクは「あんたは同い年でしょうが」と笑った。
「で、お二人は何の話をしてたんです? ついに班長が付き合ってくれる気になりました?」
「違えよ」
そこは即座に否定しておく。
そんなオレとコハクを見て、ラウルは目を丸くした。
「班長とコハクって、マジで恋人じゃなかったんだな」
「残念ながら、リーバー班長が頷いてくれなくてねぇ」
「何か理由でもあるんスか、班長?」
「いや、理由も何も……」
――そもそもコハクが本気かどうかも怪しいってのに無理があるだろ。
とは、本人を目の前にして言うわけにもいかず。本当に本気だった場合に傷つけてしまうのは望んでいない。正直、彼女の言葉の真意を測りかねていた。
仕方がないので、「だから何でそう思うんだよ」と返してお茶を濁した。
「だって、実際班長も満更でもないっスよね?」
「……はぁ!?」
「そーですよ! リーバー班長、毎回律儀に照れてくれるじゃないですか」
だから照れてねーっての!
と反論したかったのに、隣のラウルがうんうんと頷いていたので驚く。
「わかる。あんなに真っ赤になってくれたら、そりゃちょっとは脈アリかなって思うっスよ」
「は……」
「そうそう。ちょっと困ったように睨んではきますけど、嫌そうな顔はしないんですもん。ですよね、リーバー班長?」
――そう、なのか?
問われて初めて、今までのコハクとのやりとりを思い出す。大好きです、と言われて、嫌になったことはあるか。確かにちょっと気恥ずかしさはあるが、彼女からの好意自体を拒絶したことは一度もなくて。反論できない根拠ばかりが、ひとつ、またひとつ。
「あー……」
「違いました?」
そしてそれは、楽しげに問いかけるコハクを見て、唐突に組み上がってしまった。せっかく、バラバラのまま見て見ぬふりをしていたのに。なるほど、コハクを見るとたまに陥る、この胸のゆらぎは。
「……そう、かもな」
「へ」
「するか、結婚」
思い切ってそう言ってしまうと、それまで笑顔だったコハクの表情が崩れて――真っ赤な顔で、目をまんまるにしていた。なんだ、そんな顔もできるんじゃないか。
「はは、可愛いな」
そう呟けば、コハクはもはや泣きそうな顔になっていた。
3. 愛を伝えて
――するか、結婚。
不意打ちにそんなことを言われてしまって、わたしは逃げ出すようにその場を後にしてしまった。だって、リーバー班長の目が、見たこともないくらい甘かったから。その目はわたしをまっすぐ見ていて、揺るぎもしていなかった。そんなの初めてだった。好きな人と見つめ合うというのは、胸が焼けそうに熱くなるものだなんて、今まで知らなかった。
噴水のある広場まで辿り着いて、ようやく歩調を緩める。いつも座っているベンチを選んで、ようやく息をついた。ずっと小走りだったので、心臓がどくどくと脈打っている。呼吸を落ち着かせて、頭をよぎった結論は。
「え、ってことは、両思い……?」
「そうだよ」
ひゅっ。
せっかく整えた息が詰まる。恐る恐る見上げれば、さっき置いてきたはずのリーバー班長がいた。
「な、なんで」
リーバー班長の息は全く乱れていなくて、なんというか流石だなと思う。いい体してるなとは思ってたけれど、何かスポーツでもやっていたのだろうか。
「あんな顔されたら追ってくるに決まってるだろ」
「……わたし、どんな顔してました?」
「オレのことが好きで好きでたまらないって顔」
「そ、それはいつもじゃないですか!」
反論すれば、リーバー班長は少し笑って、わたしの隣に腰掛けた。
肩が触れて、思わずびくっと反応してしまう。また逃げ出したくなった瞬間、手がベンチに縫い留められた。きゅっ、と、確かに意図的に重ねられた、それであって振りほどこうと思えば振りほどけるくらいの、軽い手の重なり。でも、もう逃げられるはずがない。というか腰が抜けそうで立ち上がれるかも怪しい。だって、こんなことをされたのも、当然初めてだったから。
きっと顔は真っ赤だし、手もめちゃめちゃ震えている。そんなわたしを見て、リーバー班長は「ダメか?」と確認してくれたけれど、わたしは首を横に振った。ダメなわけがない。
「ていうかリーバー班長だって、急にどうしたんですか! 今までずっと否定してたのに」
「仕方ないだろ、さっき気付いたんだから」
「……えっ」
――さっき?
ということは、あのときも、そのときも。わたしが大好きですって言うたびに頬を染めていたのは、全くの無自覚だったと?
「そんなわけなくないですか」
「まあ、オレも考えないようにしてたしな」
どういうことですか、と聞くと、リーバー班長は背を後ろに預けながら、「あー……怒るなよ」と少し言いづらそうにした。
「どこまで本気か分からなかったから、考えないようにしてた」
「わたしは最初からずっと本気ですよ」
「だってお前、ずーっと好き好き言うだろ」
そんなこと言われましても。勝手にあふれてしまうのだから、止めろというほうが無理な話だ。
「じゃあ、ほんとのほんとに、いいんですか」
「ん? 結婚のことか?」
「そっ……れもそうですけど!」
ああもう、振り回されっぱなしじゃないか。
ちょっぴり悔しくなって、わたしはわざと意地悪な言い方をすることにした。
「リーバー班長、これからはわたしのラブコールに応えてくれるってことでいいんですよね?」
「……あれは、こっ恥ずかしいからどうにかならないか……?」
「だめでーす」
やっぱり照れてるリーバー班長に、にへへっと笑みがこぼれた。
「リーバー班長、だーいすきですよ」
「……ああ」
まあ、今はまだ、これくらいで許してあげよう。