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あなたのために

「——つかまえた」 「ひっ」  腕を掴まれて、思わず小さく悲鳴を上げた。なんで、絶対気づかれないと思ってたのに。ぷるぷると震えていると、リーバー班長はわたしの腕を掴んだまま、先ほどまで自身が突っ伏していた机の上をちらりと確認した。 「なるほど、お前が『妖精ちゃん』だったか」  ……ああ、バレてしまった。  そこには、わたしが置いたばかりのチョコレートが一粒、転がっていた。
 遡ること1ヶ月。わたしはその日、たまたま机で仮眠中のリーバー班長を見かけて、つい悪戯心が芽生えてしまったのだ。  普段なら絶対、疲れてるんだなあ、すごいなあ、かっこいいなあ、などと密かに想うだけで、そっとしておいただろう。けれど残念ながら、その日はわたしもとても疲れていた。疲れていて、判断力が鈍っていたんだと思う。  そーっと近づいて、思わず寝顔をまじまじと見てしまって。そうしてわたしは、逸る心のままに、キャンディをひとつ机の上に置いてきてしまったのだ。  一度でも一線を越えてしまえば、心理的ハードルはぐっと低くなる。それからというもの、リーバー班長が疲れているのをいいことに、わたしはちょっとしたお土産を机に置いていくようになってしまった。疲れているならすぐに食べて欲しいのに、最近では机の中に仕舞われてしまうことが増えたから、日持ちのしないお菓子や溶けやすいチョコレートも試してみていたところだった。  ……いや、仮にも恋人なんだから、ちゃんと面と向かって労ってやれよって話なんだけど。でもわたしの片思い期間が長かったせいで、なんとなくわたしが一方的に想いを募らせるほうがしっくりきてしまうというか。  よくないとは、思うんだけど。恋心を発散させようとすると、隠れてしまう癖がついてしまっていた。  ——そして現在。  リーバー班長は険しい表情で、腕を離してくれそうにない。  苦し紛れに、ひとまず疑問をぶつけてみる。 「よ、妖精ちゃんって何ですか」 「近くに居た奴らに聞いたら、『さあ? 妖精ちゃんの仕業じゃないですか?』だと。何か知ってるなとは思ったが……」  誰だ、絶対許さない。  リーバー班長の眉間にはシワが寄っていて、口もきつく結ばれている。その明らかに不機嫌な顔つきに、恐ろしさと申し訳なさで心臓がぎゅうっと潰れそうになる。わたしは既にリーバーさんの甘くとろけきった瞳に慣れてしまっていて、とてもじゃないが耐えきれない。 「ごめんなさい……」  縮こまりながら謝ると、リーバー班長は掴んだ手を少しだけ緩めてくれた。 「あのなあ、コハク。何が悪かったか分かってるか?」 「ええと、黙って勝手に置いてったからですよね」 「あー、そうなんだがそうじゃないというか……」  リーバー班長は言い淀むと、少し視線を迷わせた。言葉を選んでくれているらしい。 「最初は、誰かが差し入れに置いてったんだろうと思ったよ。でもそれから何度も同じことがあったら、何かしら意図があるのかと疑うだろ?」 「意図?」 「じゃあコハク、お前はどうしてこんなことしたんだ?」 「リーバーさんが好きだからです……」 「だろ。コハクだったから良かったが、もし別の誰かが同じことを、下心ありきでしていたとしたら。お前はどう思う?」  それは、つまり。リーバー班長に心を寄せる誰かが、彼の関心を引こうとしているということで。 「や、やだ……!」 「だろ?」  ようやくわかったか、とため息混じりに言われて、こくこくと頷いた。確かに、恋人がいるのにあんなことをされたら、リーバー班長だって良い気はしないだろう。浮気なんてするような人じゃないし、警戒して当然だ。 「ご迷惑おかけしました……」  しゅんと肩を落として本気で反省していると、リーバー班長はようやく表情を緩めてくれた。 「分かってくれたならいいよ。いいか、今度からせめて名前書いとけ」 「はい、ごめんなさい」 「ったく、やましいことなんて何もないのに、隠さなきゃって焦ってたオレが馬鹿みたいだろ。ずっとやきもきしてたんだからな、コハクが見たら嫌がるだろうって」 「……えっ」 「ん?」  ——わたしが、嫌がるから?  あれ、なんか思ってたのと違う。わたしはてっきり、リーバーさんが不快に思ったから注意されているんだと思ってたんだけど。いやそれも間違ってはいないんだろうけど、どうやら今怒られていたのは、どちらかというと「努力が無駄だったから」というニュアンスで。  怒っているのも、キャンディをすぐ机に仕舞っていたのも——もしかして、わたしが嫌な気持ちにならないように?  正しい認識にようやく至った頃には、リーバーさんは空いている手で頭を抱えて、長い長いため息をついていた。 「まだ分かってなかったか」  そして、わたしに向き直る。  やばい目が据わってる。嫌な予感がした。 「いつかちゃんと言っておこうとは思ってたが、いい機会だな」  リーバー班長は掴んでいた手を緩めて、逃げようとしたわたしの手を絡め取った。いわゆる恋人繋ぎ。リーバーさんの大きな手に包まれるような状態で、親指で手の甲を撫で上げられて、頬がぶわっと熱くなる。 「オレはお前が好きだし、この世の誰よりも大事に思ってる」 「ひぇ」  だめだ逃げられない。腰が抜けそう。誰か助けてくれ本当に。 「いつでも側に居てほしいと思ってるし、なんなら朝起きたとき、ベッドで横にお前が居てほしい。いいか、毎日だぞ」 「あの、り、リーバー班長」  完全に恋人モードになっている。まずい、本当に早く止めなければ。 「お前の願いなら何だって叶えてやりたい。そして、叶えるのはオレでありたい。それくらいお前のことが愛おしくてたまらないんだよ」 「班長、みんな見てますから……!!」  声を絞り出して、ようやく伝えきった。  そう、ここはリーバー班長の机。つまり科学班の中だし、そこそこ目立つ場所にある。こんなやり取りをしていたら嫌でも目立ってしまうし、実際ちらほらこちらを注目している人がいる。リナリーなんて、口元を手で抑えながらも目をらんらんと輝かせている。やめて見ないで。  だからやめてほしい、と伝えたつもりなのに。 「そうだな」  リーバー班長の返答は、その一言だった。 「な、なんで」 「悪いなコハク。オレは今、怒ってるんだ」  それは、怒っているというにはあまりにも悪い顔で。にっこりと笑って、まっすぐわたしを見つめていた。 「前々から思っていたが、お前には愛されている自覚が全く足りてない。だから先に外堀を埋めてやろうと思ってな」 「あ、あの」 「よかったなコハク。これでお前がいくら謙遜しても、周りがいつでも否定してくれるぞ」  ……もう、ほんとに勘弁して。  ついに立っていられなくなったわたしを、リーバーさんは膝の上に抱きとめた。とっても満足そうな表情で。
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