氷菓子ファンタジー
それは、いつも喧騒に紛れて聴こえてきた。とびきり甘くてなめらかな、アイスクリームのような声。けれど、振り返るともうそこには誰も居ないのだ。
……おかしいな。
砕けたアスファルトを小さく蹴り飛ばしながら、辺りを眺める。再び耳を澄ませるけれど、やはりあの声はまた、どこかへ消えてしまったらしい。
HLに来て早3ヶ月。私は未だに、あの声を忘れられないでいる。手掛かりは、現場に残された冷気だけ。それから――
「あ、またコハクさんだ」
「そう、レオくんだけなのである!」
がしっ、と両肩を掴めば、レオくんはいつものように深くため息をついた。
「というわけで、君には事情聴取をさせてもらおうかっ」
だんっ、と勢いよく置いたのはカツ丼ではなく、コハクちゃん特製のスペシャルバーガーセット。常連のレオくんが、いかに安く栄養をとれるかを目的として考案した裏メニューである。私が勝手に作ってる、とも言う。
「もしかしなくても俺、食べ物で買収できると思われてます?」
「……ううんと」
「目ぇ逸してんのバレバレっすよ!?」
どーせ食いもんに釣られるガキですよー、と唇を尖らせるレオくんは、それでもスペシャルバーガーセットに手を付けてくれた。
「コハクさんって、何でそんなにその声にこだわるんすか」
「お礼がしたい……っていうのが、大義名分かな」
最初にその声を聞いたのは、3ヶ月前――HLに来た直後だった。あまりの異質さに気を取られてぼけーっと歩いていたら、突然、背中を突き飛ばされたのだ。勢いそのまま壁にぶつかると、背中の方から、ものすごい音がした。金属がぐしゃりと曲がる音、レンガの崩れる音、爆発音。生来耳の良い私は、その音にくらくらして、座り込んでしまった。そこに、あの声が降り注いできたのだ。
『気をつけろよ、お嬢さん』
それから、頭をくしゃりと撫でられた。その声が去ったあと、ようやく、その場の気温が一気に下がっていることに気づいたのだった。
「ほんとはね、どんな人なのか会ってみたいんだ。すごく素敵な声だったから」
ねえ、心当たりないかな。そう問うてみても、レオくんは困ったように眉を下げるだけ。声のあった現場には大抵レオくんが居るから、何かしら関係があるんじゃないかと勝手に思ってたんだけど、どうやら見当違いだったようだ。
「なあんだ、残念」
「すみません、お役に立てなくて」
「いいんだよー好きで勝手に追っかけてるだけなんだから」
その後、結局レオくんはスペシャルバーガーセットのお代をきっちり支払ってから店を後にした。情報料なんだから取っとけばいいのに。――しかし、その時の私は気づいていなかった。
心当たりがないとは、ひとことも言われてなかったことに。