三本の紅い薔薇
1. バレンタイン編
慣れた。もう慣れたよ、私。堕落王フェムトの突然現れる自室に。……しかし、今日はひと味違った。
帰宅し電気をつけた瞬間、私の目に映ったのは――自室ではなく、見慣れぬ広々とした部屋。そして、大きなベッドに四肢を放り出しているのは、紛れも無くフェムトさんだ。
「やっと帰って来たか、社畜め」
ふああ、と欠伸をするフェムトさん。それ、ニートにだけは言われたくない。そもそもまだ7時にもなっていない。
「なるほど、自分から赴くのが面倒で、私をこちらに転移させることにしたわけですか」
「概ね正解だよ。正しく術式が発動してくれたようで何より」
フェムトさんが上半身を起こし、くいっと人差し指を曲げると、引っ張られる感覚が。見下ろせば、足が床から離れていた。うわ、と慌てているうちに空中で半回転したかと思うと、柔らかい場所におしりから着地した。背中には、フェムトさんの、おそらく背中。
「なんのつもりです?」
「さあ、何だと思う」
腕を絡めてきたので、私も何気なく反応してしまい、結果がっちりとお互いの両腕をホールドしている体制になった。そのまま体重を預けるとフェムトさんもこちらに寄りかかり。フェムトさんが意外と重くて、意地になって体制を直すうち、いつの間にか私たちはベッドの上に背中合わせで立っていた。あっこれ日本の学校にいるとき体育でやったやつだ。
「……なんのつもりです?」
「今のは僕にもわからんな」
「ひゃっ」
腕を解かれて、もよん、と体を打つ。
「しかし、本当に心当たりがないのか」
部屋が暗くなったように感じた。が、それはフェムトさんの影だった。
「わからんかね。今日の日付を見ていないのか?」
「今日? ……ええとえっと」
「バレンタインデー。日本人にも馴染み深いだろう」
ふぁさ、という微かな音と、ふわりとした香り。目の前が、紅一色になる。
花束、である。馬鹿でかい真紅のバラが、3本、束ねてあった。
そうか、なんだかやけに花束の男性を見かける日だなあとは思っていた。職場では話題にも上がらなかったので、スーパーの派手な雰囲気だけで季節を察してはいたが。日本とHLじゃあ、かなり文化も異なるだろうけれど、友チョコ的文化はこちらにもあるようだ。
「頂いても?」
見上げたまま首を傾げれば、「そのために作ったんだ、貰ってくれないと困る」と笑われた。
そっかあ、わざわざ作ってくれたのか。
一輪が顔ほどもあるバラなんて初めて見た。まるで牡丹のようだ、とも思う。なんとなく花弁に口付けると、肺がバラの香りで満たされた。
「うふふ、たべちゃいたいくらい素敵です」
「気に入ってくれたようで何より。ところで、その意味は分かっているのかね」
「……意味、とは」
「バラは色や本数によって花言葉が違うものなのだよ」
「初めて知りました」
おもしろいなあ、とつぶやくと、フェムトさんはちょっと安心したかのような表情をした。
「ならば、次回までの宿題だ。ではな」
ぱちん、とフェムトさんが指を鳴らすと、そこにはいつもの薄暗い部屋があった。ただ、いつもと違うのは、部屋中がバラの香りで満たされていること。
胸に抱いたままの花束をそのまま枯らすのは勿体なくて、ベッドの中で意識が遠のくまで、ずっとフェムトさんのことをぐるぐると考えていた。
2. ホワイトデー編
真紅の薔薇の花言葉。3本の薔薇の花言葉。
それは、どちらも同じだった。
ぽやんと過ごすうちに、もう1ヶ月が経とうとしていた。あれからフェムトさんとは一度も会っていない。そもそも連絡先も知らないし、彼が勝手に私の部屋に押しかけるだけの関係、だったけれど。けれど、テレビ越しでさえ見かけないというのは、あまりにもおかしいと思う。
その間のHLはとても平和で平凡で、みんな堕落王の存在なんか忘れてしまったかのようだった。
フェムトさんからもらった薔薇は、言葉の通り食べてみたくなったので、1日だけ飾ってからジャムにしてみた。初めて作ったにしては上手く出来た、と思う。たぶん。
スプーンにすくって紅茶に添えると、フェムトさんに見られているような、甘痒いような気持ちになった。
ビスケットも用意しよう、と思い立って、椅子から立ち上がった、そのとき。
「どうも~」
「ひあっ」
驚いて、ガタンとテーブルに手をつく。かなり揺らしてしまったけれど紅茶は無事だろうか。違うそうじゃない、今注目すべきは。
「アリギュラ、さん?」
「『アリギュラちゃん』でいいわよ~」
偏執王、アリギュラ。堕落王フェムトと同じく13王として数えられる、ヘルサレムズ・ロットの最重要人物のひとり。
そんな超VIPが、なぜここに。殺意とか、そういうのは私には全く分からないが、おそらく敵意はない、ように見えるけれど。
「アンタも~厄介な奴に惚れられたわよね~」
「フェムトさんの、ことですか」
「他に誰がいるのよ~」
手を取られ、そのまま椅子に座らされる。扱いがあまりにも紳士然としていて、うっかりときめきそうになった。けれどその数秒後には、同じことをしてくれたフェムトさんが頭に浮かぶのだった。
アリギュラちゃん、は、私の正面、フェムトさんが来るようになってから買い足した椅子に腰掛ける。
「で~まだ返事しないの~?」
単刀直入な問いに、言葉に詰まる。
あ、う、と意味のない声を発していると、アリギュラちゃんは「まとまってからでいいわよ~」と落ち着かせてくれた。
「……あの」
「なあに~?」
「たぶん、答えは決まってるんです」
1ヶ月間で思ったことを、ゆっくり吐き出す。
「わたしは、たぶん、フェムトさんが好きです。でも、自信がないんです」
ひとつ、私は今まで恋をしたことがない。だからこの気持ちが本当に恋なのか自信がない。
ふたつ、私が普通の人間であることは私がよく知っている。だからあの人を幸せにできる自信がない。
みっつ、私にはこれといった魅力がない。だからあの人に愛される自信がない。
「こんな、自信がないまま、あの人の気持ちに応えるのは、失礼なんじゃないかって」
紅茶はもう冷めきってしまっていた。湯気すらたっていないそれを飲む気にはなれなくて、指の腹でティーカップをなぞる。
一度も言葉を挟むことなく聞いてくれたアリギュラちゃんは、私に手を伸ばすと――びたん、とおでこにデコピンを食らわせた。
「だっ、」
「なんだ~じゃあ何も問題ないじゃん~」
「……え」
「卑屈なアンタに~ひとつだけ聞いてあげる~」
フェムトに愛されたら、幸せになる自信ある~?
にっ、と唇が弧を描く。
「あり、ます」
震える声で、でもしっかりとそう言えば、アリギュラちゃんは「それでいいのよ」と満足げに頷いた。
「じゃ、式の仲人はアタシだからね~」
「わかったわかった」
……え。
目の前のピンク色が消えたかと思うと、後ろから、白い手袋が伸びてきた。そのまま、拘束される。
振り向くのが恐ろしい。それは今、私の顔が、きっと可愛くないだろうから。
「あーあー、もう、泣き止みたまえよ」
「う、っく、ご、めんなさ」
「……仕方のない子だな」
ぽん、ぽん、と頭を撫でられると、心地よいまま甘えてしまいたくなる。けれど、私は今、言わなければいけないことがある。
「あのね、フェムトさん」
私も好きです。
最後のほうはまた涙に飲まれて消えかかったけれど、それでもようやく、ちゃんと、伝えられた。
ホワイトデー企画2016