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サクラガイ

 あんたもたまには手伝いなさいこのニート! なんて散々言われてようやく、私は実家である海の家の手伝いを始めた。しかし失礼な、私はニートではなく世に言う学生という身分である。  なんて胸を張ったところで、実家が大変なことには変わりなく。実はこれでもウチは、建物はボロいくせに立地がいいお陰で、ちょっとした名所なのである。……こんな辺鄙な場所に宿を作ろうなどという猛者がウチ以外にいなかっただけ、とも言う。  ともあれ、嬉しいことに夏中は常にお客さんが居るような、まあまあ繁盛しているお店なのだ。ちょっと入り組んだところにあるけれど、潮の関係か何かなのか、海はゴミが流れ着くこともなく格別に綺麗だから、外人の多少リッチなお客さんが来たりすることも、珍しくはない。  ……けれど、その「外人の多少リッチなお客さん」が、まさか厨房で勝手に朝食を作ってる場面に出くわすなんて、想定外なわけですよ。 「え、えくすきゅーずみー……?」  こんがりといい香りがするのは、ベーコンだろうか。なんとも食欲がそそられるけれど、今はその話題にすべきじゃない。話題にすべきは、このお客さん。  ……お客さん、だよね?  振り向いたその顔には、口以外を覆う銀色のマスクが装着されていた。  まさかちょっとヤバイ人に出くわしちゃった? どうしよう携帯は確かパーカーのポケットで警察の番号は、まで頭に巡ったところで、「失礼、少しばかり拝借するよ」と流暢な日本語が聞こえてきた。声の主は、こんがりベーコンの銀色マスク。 「……はい」 「目覚ましよりも数刻早く目が覚めてしまってね、小腹が空いたんだが家主の手を煩わせるのもどうかと思って勝手に拝借してしまった。非礼は追って詫びよう」  やばいこの人、日本人の私ですら普段使わないような言葉をすらすらと並べ立てている。只者ではないな。  正直逃げたい、と思っていると、「そうだ、君も朝食にするかい? リトルレディ」なんて聞かれたから、思わずガン見して「いやリトルレディなんて歳じゃないですけど」とマジレスしてしまった。同時にあれ、と思う。いつの間にか、銀色のマスクが消えていた。  この家に居ると、変な人に出くわす機会が多すぎて忘れがちになるけれど、たまにこういった特別変な人に遭遇することがある。それにあまりツッコまないことにも、慣れてしまった。  なので、この数分のやり取りの後、彼を「よくわからないけれど害がないうちは普通に客として扱う」ことに私の中で決まっていた。 「あ、ベーコンエッグですか。おいしそ」 「日本の主食は米だったか」 「パンにも合いますけど、米にも合うんですよ、卵って」 「そうか。パンを焼かなくて正解だったな」  やいのやいのと朝食を準備しつつ、だらだらと雑談をしていた。なんとなく仕事をしてる人に見えなくて、「どんなお仕事を?」と聞いたら、冗談交じりに「うーん、ニート?」なんて答えられた。きっと起業家か何かだろう、私の勘はよく当たるから間違いない。  そうして食べ終わったタイミングで母が起きてきて、目を丸くしていた。天変地異ね、とは失礼な。  彼はマリンスポーツが趣味というわけでも海という自然にはしゃぐタイプでもなかった。何故こんなところに来たんだろう、と不思議に思ったけれど、きっと理由なんてないのだろう。金持ちの感覚なんてそんなもんだ。  だから十数日間、この海の家で一緒にだらだらと過ごして、気づいたらいなくなっていた。  ちょっと寂しいな、なんて思っていたら、いつ置いたのか小さな桜貝がキッチンの端にひっそりと佇んでいた。裏返してみれば、"See you again!" の文字。  またどこかで会えるさ、たぶんね。彼がそう言ってくれた、気がした。  ――卒業旅行にHLへ来た私と堕落王である彼が偶然再会するまで、あと3年。
堕落王版ワンドロワンライ
ベーコンエッグ/ニート/海
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