おうちデートのススメ
正直、彼はめちゃくちゃ目立つ。何が目立つって、そりゃあもう一挙手一投足その全て。そんな彼にうっかり恋をしてしまったものだから、もう私のココロは大惨事。ほんと、誰か助けて。
「それは、デートをしたくないという暗喩かい」
「そうじゃなーい!」
そう、そうじゃないんだ。同棲している身で毎日顔を合わせるからこそ、お外でデートは積極的にしたい、是非したい。そのために、新しいワンピースも靴も準備万端だし、普段しないネイルもちょっぴり頑張ってみた。正直かなり浮かれている。けれど、街中で目立ちすぎるのは、平凡の権化たる私にはかなりハードルが高いのである。……かといって、彼が「普通」であればいいかと問われれば、それは違うと断言できる。だって、それはもう私の恋した堕落王フェムトではないだろう。
複雑な気持ちを彼に直接伝えたところで、その半分も伝わる気がしない。結局いつも、私が折れるしか解決方法がないのだ。
どうしたものか、と考えあぐねている私に、フェムトさんは口を開く。
「じゃあ、おうちデートでもする?」
おうちデート。
そんな単語が彼から出てきたことがまず驚きだけれど、まさか堕落王が普通っぽいことに興味を示すなんて。と、そこで気づいた。そういえば、ちゃんとしたおうちデートはしたことがなかった。私が告白して少々強引に付き合って、すぐに同棲を決めてしまったから。どうかな、お姫様。なんて、ちょっぴりおどけて差し出された手に、指先を重ねる。
かくして、おうちデートは開始されたのであった。
――けどまあ、堕落王の考える「おうちデート」が普通であるはずがなかった。というかそもそも、おうちの規模が違う時点で気づくべきだった。無駄に格好よくエスコートされて着いた場所は、何ら変わりない、私の部屋。なんだろう、このちぐはぐ感。
「それでどうするのかしら、ダーリン」
「さあ、どうしようかハニー。ノープランだよ」
「ふふっ、でしょうね!」
思わず吹き出すと、フェムトさんもつられて笑いだした。顔を見合わせたまま笑いあったあと、ふと、思い出す。
「ねえ、せっかくなんだし、手を繋いでもいい?」
「手を?」
だって、いつもエスコートされるばかりで、恋人のように手を繋いで歩いたり、腕を組んだりすることがあまりなかったのだ。……私が、人前で手を繋いだりするのが恥ずかしかったから、というのもあるけれど。でも、おうちでなら、二人きりだ。
「だめ、ですか」
「いいや、お安い御用だよ」
フェムトさんは微笑むと、触れていた手をそのままずらし、指を絡める。そう、いわゆる恋人繋ぎ。一気に、手袋越しの体温が近くなる。少しひんやりした指先とは違い、手のひらは温かい。ハグするのとはまた違った感覚に、何故かじわじわと頬が熱くなる。
「じゃあ、ちょっと散歩しようか」
「は、い」
あっ、これ、思ったよりも恥ずかしい。ちょっぴり後悔したのは、もう歩き出してしまったあとで。それに気づいたフェムトさんは上機嫌な様子で、邸宅内を散歩する間中、ずっと私の反応を見てはおもしろがっていた。
ふと時計を見ると、もう11時半を回る頃だった。そうだ、おうちに居るなら、お昼はどうしようか。そう考えてフェムトさんを見上げると、彼は何かを思いついたように、にやりと笑った。
「お昼、一緒に作ろうか」
「……えっ」
「なんだいその不審そうな目は!」
フェムトさんって、料理できるのだろうか。実は、私がこの邸宅に来てからフェムトさんが料理しているところを見たことがない。以前、画面越しにベーコンエッグを焼いていたところを見たことがある、その程度。普段は式神さんたちか、私が勝手に作ってしまうかのどちらかだし。
「へ、変なもの入れたり、しないよね」
「それは入れてほしいっていうフリかい?」
「違いますー!!」
力いっぱい否定したところで、聞いてくれるような人ではないけれども。せめて、ちゃんと食べられる食材だったらいいな。
そんな不安とは裏腹に、結論から言えば、それは杞憂だった。
「あっそれ、この前レストランで出てきた――エビ?」
「ブリケッシュシュリンプだよ」
美味しいって言ってただろう、と得意げなフェムトさんは、冷凍されていたそれをザルに開けると、指パッチンで解凍してしまった。そう、時々見せるこういうところが、うっかり恋をしてしまった所以である。意外なことを覚えてくれているところとか、不可思議なことを当然のようにやってのけるところとか。背ワタを取るその手はもちろん素手で、いつも手袋をしているぶん、ほんの少しだけどぎまぎしてしまう。
野菜を切り終えた私は、鍋にパスタを投入して、タイマーをセット。ソースを作るため、フライパンを熱し始めた。
「って、何やってるのフェムトさん」
ふと隣を見れば彼の姿はなく、いつの間にか背後でごそごそやっていたかと思えば。
「これでタコヤキしたら美味しそうじゃないかい」
「……いいんじゃないかな」
フェムトさん楽しそうだし。エビだけど。まあ食べられなくはないでしょ。
無事に棚からたこ焼き器を発掘したフェムトさんは、やっぱりいつもより楽しそうで。普段、デートのときは過剰なくらい格好つけているから、それはそれで心臓に悪いんだけど。でも、今のフェムトさんのような可愛い姿を見られるのは、ここだけだ。そう思うと、途端に特別に思えてしまうのだから謎だ。
無事にパスタを作り終えたところで、部屋の扉がノックされた。もしかして。扉を開けると、やはりそこにはピンク色のポニーテール。
「あれ~なんかいい匂い~」
「どうしたの、アリギュラちゃん」
「野暮用だったんだけど~お邪魔だった~?」
キッチンからひょっこり顔を出すフェムトさんと視線が合う。どうやらデートはここまでのようだ。
「お昼まだなら、食べていく?」
「いいの~? じゃあ~遠慮なく~」
私もフェムトさんも、食事は大勢で楽しく派だ。幸い、卵も小麦粉もたくさんあるから、たこ焼きならぬエビ焼きも多めに作れる。来客用の椅子はフェムトさんに任せて、私はパスタを3皿に取り分け直すことにした。
「んふふ~」
「なんだいアリギュラちゃん」
「フェムトったら~幸せそうにしちゃって~」
カウンター越しに聞こえる会話に、どきっとする。私は、幸せだけれど。私はほとんど与えられる側で、フェムトさんに十分に返せているか、実は自信がない。彼は今、幸せでいてくれているのだろうか。
「そうだろう、何せ僕を絆した人間だからね」
「やだ~ノロケ~?」
「そう、ノロケだよ」
あっさりと認めたフェムトさんに、手に持ったトングを落としかける。寸前で握り直したから大事には至らなかったけれど。
――そう、ノロケだよ。
フェムトさんの言葉がぐるぐると脳内を巡って、離れない。しばらくぼうっとしていると、不意に肩を叩かれた。弾かれたように振り返れば、頬にぷにっとした感覚。あっこれ知ってる。
「……子どもか」
「さあ、冷める前に運んでしまおうか」
皿を持ったフェムトさんは、何もかもを見透かしたような顔で。
気を取り直した私は、手始めにエプロンを脱ぎ捨てる。いつの間にか涙ぐんでいた目には雑にティッシュを当てて、それから待っているであろうアリギュラちゃんの元へと向かった。たまには「おうちデート」もいいかもしれない、なんて思いながら。