希求
これって、付き合ってるってことで、いいのかな。昨日、権利をくれ、と言われたときの声色を思い出す。私の、はじめての、恋人。
「ねえシエル、どうしよう、私、幸せだ」
シエルは何も答えない。けれど、「よかったね」とでも言うように、私の頬にちょんと触れた。
今日は、普段通りの勤務だ。支度をして科学班へ向かうと、皆が一斉にこちらを振り向いた。と思うと、わらわらとこちらへ集まってきた。
「えっ、どうしたのみんな」
「よかったなあコハク! おめでとう!」
「班長も報われてよかったぜ!」
「ええっと?」
無言で班長を見る。リーバー班長は、おもむろに目線を外し。
「すまん、嬉しくてつい」
やっぱりこの人か。はあ、と呆れたようにため息をついたけれど、頬だけはごまかせなかった。
「この幸せ者めー!」
「今日は宴だぞ! 全員定時で切り上げろ」
「イエッサー!」
「ちょっとそこまでしなくていいから!」
みんな、私があと1ヶ月ってことをお忘れじゃないかしら。そうは思っても、きっと騒ぎたいだけの彼らに今言うことでもないかな、と黙っておいた。
結局、定時より1時間と20分遅れて、科学班は食堂へと集結した。
「では、リーバー班長とコハクを祝して!」
かんぱーい!
と言っても、お酒の苦手な私はオレンジジュース。リーバーさんも、いつものレモンソーダだ。
「コハク、本当によかったな」
「っていうか、皆なんで私がリーバーさんのこと好きだって知ってたの」
そう、それが不思議だ。だって私、一度もそんなこと言ったことがない。すると、ゴーレム担当班が顔を見合わせた。
「……そりゃあ」
「ねえ?」
「お前、シエル持ってるだろ」
「うん」
「シエルに録画機能あるって、知ってるだろ」
「……うん?」
もしかして。
「メンテナンスのときにな、不可抗力だぜ、一応言っとくけど!」
「ああああああんたらあ!」
「ははは、リーバー班長には言ってねえだけ感謝しろ!」
えっ、そうなの。てっきりリーバーさんにも伝わってたのかと。そう思ってリーバーさんの方を見やると、リーバーさんも驚いたような顔をしていた。
「お前ら……知ってたのか」
「もう、じれったかったのなんの!」
「班長、結構最初の方からコハクにデレデレでしたもんね」
「えっちょっ何それ詳しく!」
「やーめーろーお前ら!」
賑やかな科学班は、そこに居るだけで心地いい。――だからこそ、こう思ってしまう。
「……短かったなあ」
そうつぶやくと、皆は一斉に静まり返った。騒がしい食堂の中で、この一角だけ、時が止まったかのような。
みんな、知っていた。知っていたけど、口に出しては言えなかった。けど、やっぱり目をそらすわけにはいかない。
「そう、それが問題だ」
静寂を破ったのは、リーバーさんだった。
「何とかならないんすか、班長」
「……ひとつだけ、狡いやり方はあるんだが」
「ずるい?」
「でも、そんなことしなくたって、コハクはきっと残れる。俺はそう信じてる。だから、正攻法でいこう」
「正攻法……って言うと」
「まあ早い話が、正規職員になっちまえばいい」
リーバーさんは、鞄から一冊の本を取り出すと、私に差し出した。表紙にはローズクロスがあしらわれている。古い、本だ。
「化石みたいな制度だが、あるにはあるらしい」
栞の挟まったそこには、「非正規雇用からの正規登用規定」が書かれていた。
どうやら、前例がないだけで、制度自体はあったらしい。というのも、多忙ゆえに契約期間満了で辞めていく人ばかりだったからだ。……確かに、科学班を楽しいと思えてしまう私は、ちょっと特別なのかもしれない。ワーカホリック、とも言うけれど。
さっそくコムイ室長に話しに行くと、「よく見つけてくれたね!」とリーバーさんの背中をバンバン叩いた。コムイ室長も、知識としては知っていたらしく、文献を探していたらしい。
コムイ室長と顔を突き合わせて文献を吟味した結果、どうやら制度自体が曖昧なもので、逆に言えばどうとでも解釈ができるとのことだった。
「今回に関しては、前例がなくて助かった」
「何でです?」
「コハクちゃんの場合は、非正規雇用の中でも派遣だし、しかも倒産してるし、実際の雇用期間も半年だし。色々と複雑だったんだよねえ。でも、前例がないならそんなこと関係ない」
コハクちゃん、頑張れるかい。
そう問われて、私の中の何かが変化していることに気づいた。失いたくない、そう思っていたのは、ひとつだけだった、はずなのに。どうやら私は、リーバーさんの望んだ通りの人物になってしまったらしい。
「はい」
「決まりだね。……こいつを盾に、なんとかしてみせよう」
コムイ室長は、力強くそう言ってみせた。
それからの1週間は、忙しいものになった。お偉いさんとの面接や、技能試験、身体検査、などなど。新規雇用よりも簡単なものとのことだけれど、それを普通の業務に加えてこなすのは少々つらかった。
そして、解雇通知されてから12日。試験の結果が出た。
「おめでとう、コハクちゃん。合格だ」
そう言われて、私は思わず床にへたりこんでしまった。