僕の妻は僕の全て
久々に、彼女をレストランに誘ってみた。いつぶりなのか分からないほどの誘いに、彼女は憤慨するでもなく拗ねるでもなく、ただきらきらと色素の薄い瞳を輝かせた。……こういうところが、僕には少し眩しい。いっそのこと怒ってくれたほうが気が楽かもしれない。
彼女は上機嫌なまま、クローゼットをうろうろしている。うーん、と小さくつぶやくと、彼女はドレスを何着か手に取り、僕を振り返った。
「ねえ、フェムトさんは私に何を着てほしい?」
「……ふむ、僕に訊ねるか」
「ほら、この前はモノトーンだったでしょ。あなたの色に染まるのもいいけど、あなたの理想に近づくのもいいかなあって」
彼女の無邪気な笑顔に、ぎゅうっ、と心臓が掴まれる。……あまりにも可愛すぎやしないだろうか、僕の妻は。この笑顔にときめかない者は、きっと世界中探したってどこにもいないだろう。
動悸に耐えられなくなる前にと、素早く僕は淡い青を指し示した。きっと、彼女の儚い雰囲気に似合う。ああ、けれどあれを纏った彼女を見てしまったら、今度こそ耐えられないかもしれない。あまりの負荷に心臓が悲鳴を上げてしまうことだろう。
僕の心情など知らない彼女は、ドレッサーに向かって、丁寧にスキンケアを始めた。彼女は肌が弱く、メイク前のこの工程は外せないらしい。いつだったか、「口紅は荒れちゃうからできないの」と残念そうに言っていた。
楽しそうなソプラノの歌声が部屋に響く。普段は化粧っ気のない彼女がドレスアップする様子は、見ているとなんだか……こう、胸の奥底がうずうずする。好奇心のような快楽とも、微睡みの中の安らぎとも違う、全く新しい感情。彼女は本当に、僕の感情を引き出すのが上手い。自分すら知らなかった感情に支配されるなんて、昔の自分では全く考えられない。まったく正しく真実として、僕は彼女がいなければ生きていけない。そのくらい、僕は彼女に多くを占められていた。
彼女は最後にイヤリングをつけると、椅子に腰掛けたまま僕を見上げる。
「仕上げは旦那さまに、お願いします」
「うん」
彼女が差し出したものを受け取って、キャップを外した。そうして僕は、彼女の唇にリップクリームを丁寧にすべらせる。体温で溶かすように、ゆっくり、じっくり。
「はい、いいよ」
「ありがとう、フェムトさん」
首に手を回され、顔が近づく。直後、彼女の熱が、僕に分け与えられた。
知らなかったけれど、今なら言える。これがきっと幸福というものなのだろう。