迚も斯くても
不思議な夢を見た。懐かしい、それでいて身に覚えがない、なんだかふわふわとした夢だった。私がヘルサレムズ・ロットの大型ビジョンを眺めて、その先にいるフェムトさんに淡い恋をする、そんな夢。私はここに来てからフェムトさんを知って、そうしてフェムトさんのことを少しずつ好きになっていったはずなのに。
――そういえば、ここに来る前って、何してたっけ。
ぽっかりと過去の記憶がないことに気が付いたけれど、特に思うところもないのでそのまま放っておくことにした。
「で、ちょっとだけ、いいなーって羨ましくなっちゃった」
「なんで~?」
「だって、夢の中の私は、ちゃんと”恋”をしてたんだもの」
本日のアリギュラちゃんは、ロシア風にジャムを添えていた。なんでも一番のお気に入りらしく、小皿いっぱいに盛り付けている。対する私は、オーソドックスなブルーベリージャムをなめながら、話に花を咲かせていた。
「やっぱり普通は、触れたりキスしたりハグしたり、したくなるよね?」
「少なくとも~アタシはそうよ~」
じゃあ、やっぱり私のこれは、”恋”ではないのでは。再び考え込んでしまった私に、アリギュラちゃんは唇を尖らせた。
「じゃあ聞くけど~。アタシは恋人を~生きたまま刻んだり潰したりしたけど~、それって普通だと思う~?」
「いやいや、アリギュラちゃんにしかできないんじゃないかな」
「でっしょ~?」
そして、にやりと笑って。
「だから~、恋のカタチなんて~人それぞれでいいのよ~」
「フェムトさん」
帰宅すると、フェムトさんは瓶詰めされた魔獣の様子を見ていた。彼が振り返ると琥珀色の髪がふわっと浮いて、きらきらと輝く。
「どうしたんだい、ふにゃふにゃした顔して」
「えっ私そんな顔してます!?」
思わずほっぺたを両手で挟むと、「してたしてた」とフェムトさんは追い打ちをかけた。
「で?」
「あ、そうそう! 私、ようやく決めたんです」
そう、ようやく。……一刻も早く彼に伝えたくて、それで思わず走って息切れしてしまったのは、私だけの秘密である。
やっぱり、これが恋だと自信を持っては言えないけれど。フェムトさんのことが、どうしようもなく好きな事実は、きっとどう足掻いても変わらない。夢の中のパラレルワールドでさえ、それは変えられなかったのだから。
「私、フェムトさんに恋することにしました!」
笑顔でそう言い切ると、フェムトさんは口を半開きにしたまま、しばらく固まっていた。それをいいことに、私は語り始めた。いいや、ほとんど宣言だったかもしれない。今までのこと、アリギュラちゃんに言われたこと、そして決めたこと。
部屋が静かになって数秒後、彼は金縛りが解けると、今度は大口を開けて笑い始めた。
今度は私が驚いて戸惑っていると、「いや、違うんだ」と、やはり笑いながら続ける。
「やっと、君はその感情に名前をつけられたのか」
「はい。だって知らなかったんです、”恋”が多義語だったなんて」
「……ほんと、君ってやつは」
やっと笑い終えたフェムトさんは、私の傍まで来ると、私の頭を包み込んだ。
「ところで、僕の "恋" は触れたいタイプなんだが、大丈夫か?」
「――えっ」
「君は感情に支配されたくないと言っていたが、僕は君を溺れさせたい」
「あ、あの」
「というわけだが。コハク、君は僕を許してくれるかい」
いつかのように、頬に熱が集まる。はい、と、小さく返すのが精一杯。