坩堝の氷
「で~?」
「ど、どうしよう」
にまにまと笑うアリギュラちゃんは至極楽しそうで、それはもう分かりやすく上機嫌だった。
先日の転んだ件で、訝しんだフェムトさんに、私の状態を知られてしまったのである。それで、混乱して、勢いのままフェムト邸を出てきてしまった。私の行く先は限られているから心配はされないだろうけれど、それでもとても申し訳ないことをしてしまった。だから、早く帰らなくちゃいけいない、のに。
悩んだって答えが出るとも限らないその問いに、アリギュラちゃんは興味を示した。……もしくは、帰りたくない気持ちを察してくれた可能性も、あるいは。
「いい加減~恋ってことにしときなさいよ~」
「……でも」
私がこの感情に名前を付けないのは、保身以外に、もうひとつ理由がある。自分でも、この気持ちが何なのか、はっきりとした確証を持っていないのだ。恋と言うには穏やかすぎて、愛と呼ぶには我儘すぎる。
別に、フェムトさんに何かを求めているわけではない。恋人になることを夢見てるわけでもなければ、愛を返してほしいわけでもない。けれど、私は確かに、彼に恋い焦がれている。
この矛盾をどう説明しようか。この感情を、恋と定義してもいいのだろうか。そして――これが恋だったとして。恋に溺れることが、私はとてつもなく怖い。
扉をノックすると、意外なほど優しい返事が返ってきた。そうっと開ければ、フェムトさんはソファに寝ころびながら、私を一瞥した。
「おかえり、ゆっくりできたかい」
「……ごめんなさい」
「気にしてないよ」
その声を聞くだけで、涙が出そうになった。未だに混乱しているらしい自分に、自分で困惑していることに気づく。
すると、フェムトさんが立ち上がり、こちらに近づいた。靴と靴が向かい合う。
「触れても?」
「……えっと」
「嫌なら――」
「いやでは、ないです」
思わず言葉を遮ると、フェムトさんはふっと小さく笑った。そして、手を私の頭に乗せて、髪を梳く。
「正直」
その声は、わずかに掠れていた。
「君が戻ってきてくれて、かなりほっとしている」
「そう、なんですか」
「僕は思っていたよりも、君を重要視しているようだ」
その表情は、私がよく鏡で見るそれに少し似ていた。