ミルフィーユ
君、レストランに興味はないか。
唐突にそんな電話が来たものだから、どうしたのかなと思ったら、どうやら気になるレストランがあるらしい。聞いてみれば、なんと一つ星。
「無理です」
「即答とはひどいな」
少し予想はされていたようで、声には棘がなかった。そもそもドレスコードがクリアできません、と恥ずかしながら申し出る。するとフェムトさんは、なんだそんなことか、と笑い飛ばした。
「それじゃあ、食事の前に、買いに出かけようか」
「……えええ」
「今日は一日空いてるだろう」
何で知ってるんですか、とも言えず、あれよあれよという間に話が決まってしまった。……お金、足りないことないといいんだけど。仕方ないから準備しよう、と伸びをしたところで、はたと気づいた。これって、もしかして、デートというやつでは。
髪型よし、服よし、メイクよし。心音、安定。ちょっぴり増えたチェック項目をクリアし、よし、と自分を落ち着かせた。
午後5時の待ち合わせ10分前、いつも通りフェムトさんはそこにいた。
「この前も思ったんですけど、正装って、なんだか見慣れないですね」
「そんなことを言うのは君くらいのものだぞ」
「それは光栄です」
私だけの特権ですね。言葉には出さずに、微笑んだ。
フェムトさんと入った店は思っていたよりもカジュアルで、意外と身近に売っているものなんだなあと驚いた。私が知らないだけで、一歩踏み出せばこんな世界もあったのかと、日本育ちで一切縁のなかった私は感心してしまう。
フェムトさんは、手近にあったワインレッドのドレスを取ると、私の胸に当てた。
「ほら、これなんか似合いそうだ」
「……丈、短くないですかね」
「気になるかい?」
「正直、とても」
うら若きティーンではないのだ、膝上は勘弁してほしい。何より、単純に恥ずかしい。
もったいないなあ、とドレスを戻すフェムトさんに短くため息をついて、ふいと左に目線を向ける。
「あ」
「ん、なんだい」
一瞬で目を奪われたのは、黒のドレスだった。ベアトップで、ウエストにリボンがついている。セットでディスプレイされている白のボレロは、袖がくしゃっとなっていてこれまた可愛い。
試着してみるかい、とフェムトさんに声をかけられるまで、ずっと見とれてしまっていた。
「どう、ですかね」
試着スペースのカーテンを恐る恐る開けると、フェムトさんは目の前に居た。一度頷くと、微笑んで「よく似合っているよ」と言ってくれた。
「ほんとですか」
「もちろん」
その言葉に嬉しくなって、その場で一回転する。最後にちょっと体勢を崩したのは、見ないふりをしてくれた。慣れないことはするもんじゃないな。
「でも、何故そのドレスなんだい。君が好きそうなデザインなら、他にいくらでもあるだろうに」
「確かにそうですけど、何と言いますか」
上等な黒地に柔らかな白の組み合わせから、初めてテレビで見かけた姿を連想してしまって。
「雰囲気が、フェムトさんっぽいなって、思ったので」
思っていたことをそのまま伝えれば、フェムトさんは口を半開きにして、顔を逸らした。どうやら照れているらしい。
ドレスは、このまま着ていくことになった。会計するときにまた一悶着あって、結局フェムトさんに払って頂いてしまった。彼曰く、「僕の楽しみのために僕が投資せず誰が投資するんだ」とのことだけれど。私の楽しみでもあること忘れてないかしら、この人。
そうしてまた、二人で並んで歩いていた。どうやらレストランも、比較的近くの、歩いて行ける距離にあるらしい。
「君、表情が柔らかくなったな」
フェムトさんが、前を向いたままつぶやいた。
「そうですかね」
「前は不機嫌なときに目を細めるくらいしか分からなかったぞ」
言われてみれば、そうかもしれない。元々感情が顔に出にくいのだけれど、この人の前では、どうやら滲み出てしまっているらしい。
「それを言うなら、フェムトさんは表情に出にくくなりましたよ」
「そうかい?」
「だって、最初に会ったときは、あんなにオーバーな仕草だったのに」
「ああ、それか」
思い出せば、かなり印象が違ってきた。仮面で隠しているのにわかりやすすぎるなあと思っていたのに、今では普通の人並みに落ち着いている、ように見える。
「だって、もう必要ないだろう」
「必要ない、とは」
フェムトさんは軽く前髪をかき上げると、とびきり優しい声で。
「おそらく君は今、この世で一番、僕の機微を理解できる人間だからね」