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いつも隣に堕落王

「うげっ」  こんなダミ声を出すのは、もう何度目だろうか。眉間にしわを寄せたまま、それでもかろうじて無視はしなかった。そんなことしたら後が怖いし。  いやまあ、「お連れ様がお待ちです」と言われた時点で、察しはついていたけれど。 「また会っちゃったな」 「あなたはどうしていつもいつも……!」  彼は機嫌よくストローで赤黒い飲みものをじゅーっと吸い、ぷはっと離した。  彼――堕落王フェムトと初めて会ったのは、友達とウィンドウショッピングをしていたときだ。
 疲れたしお店に寄ろう、とどちらからともなく言い出し、適当に近くにあったカフェに足を運んだ。……ら、案内された隣には、テレビ越しによく見かける仮面野郎がいた。ジーパンにTシャツ、革ジャケットと、やたらラフな格好をしていたけど、何度も見たそれを忘れるはずがなく。  あれ、本人じゃん? と思ったが友人は意にも介さずおしゃべりを続行している。ということは、この街では「これ」が「普通」なのか、と認識を改めた。  結果的に言えば、全然普通じゃなかった。  堕落王の私生活は謎だらけ、街での目撃証言も皆無ときた。ふだん中世ちっくな正装をしているせいで、貴族なのではないかと言われている、それぐらい。それでさえ憶測。  ……では、私が見たあの堕落王は、一体何なのか。  しばらく考えていたが、時間が経つうちに私の脳は記憶を隅に追いやった。  しかし、記憶の目覚めは意外と早かった。  1ヶ月後、「区画クジ」で立地が変わったこともあり、近くなったカフェに赴いた。……そうしたら、また、いたのだ。あの銀仮面が。  カウンター席で優雅にコーヒーを飲んでいたから、これはチャンスと思って、隣に陣取った。 「どうも」  軽く声をかける。今日もなかなか普通な格好で、仮面さえなければ普通の青年に見える。実年齢は千を越えるともっぱらの噂だけれど。  堕落王フェムトはちらりとこちらを伺ったが、そのまま何も言わず目を逸らした。見えないけれど、そんな感じがした。  私はキャラメルマキアートを頼むと、また隣に話しかけた。 「ねえ、あなた、堕落王フェムト?」 「っゲホ、グッ、ゴホッ……」  勢いよく咳き込む彼に驚いて、とりあえず背中をさする。が、それを振りほどかれ、次の瞬間には、仮面がおでことくっついた。 「見えているのか!」  いっそ大声で言って欲しかった。内緒話でもするかのような至近距離と掠れ声に、心の奥がとくんと鳴る。 「えっあ、え?」 「今僕はプライベートで、ちゃんと術もかけているはずだが。……ちょっと見せたまえ」  さらにあごとまぶたを固定される。あれ、手袋つけてない。指先の温かさが直に頬にふれている。中継ではあんなに肌を見せない格好なのに、目の前の彼は手や首筋、さらには鎖骨までもをさらけ出している。そんなことに今気づいて、なんだか居心地が悪くなった。外出が少ないのか体質なのか、肌は生っ白い。  しっかりと両目を検分すると、されたときと同じように、ぱっといきなり離れた。 「なるほど。……君、昔から苦労してきたクチだろう、霊感があるとか言われたことないかい」 「あ、はい。なんかよく見えてました」 「それだ。たっまぁ~に居るんだよねえ、そういう義眼でも術者でもないのに見えちゃう輩が」  ちょー厄介! と口をへの字に曲げる。 「で、僕に何の用だい」 「いや、特に」 「……はぁ?」  曲がっていた口が今度は四角くなった。感情のわかりやすい人だなあ。  カウンターにはいつの間にか私の頼んだキャラメルマキアートが置かれていて、口付けると、まだ十分に熱かった。おいしい。 「この堕落王を捕まえておいて、何もない、とは! 君は普通の皮を被った、とんだ奇人だな!」 「奇人とは失礼な。せめて変人にしてくださいよ」 「どっちだってさほど変わらん!」  いやだってまあ、そんな私服の堕落王見ちゃったら、ちょっと親近感わいて話しかけたりしちゃいますって。なんて、言わないけど。ちょっとかわいいかも、なんて思ってしまった。……のを、後に後悔するのだけれど。 「そうだ。君、僕に暇つぶしさせろ」 「……へあ?」 「ちょうどカフェ巡りの相手がいなくて退屈していたんだ、君の暇なときに僕からお邪魔することにしよう。そうだ、それがいい」  私の意志は無視か。そう呟けば、至極不思議そうな顔をして、「君なら断らなそうだと思ったが」と返された。
 とまあそういうわけで、それからというもの、私がどこかしらの店に立ち寄るたび、先に隣に堕落王が居座っていることになった。暇か。暇人か。いやもともと暇人だったわこの人。 「それ、何飲んでたんですか? 血?」  諦めて座ると、さらに機嫌よくなったようで、口角がきゅっと上がっている。 「普通のバーガーショップにそんなもの置いてあるとでも思うのかね! でもまあいい線いってる。ブラッディオレンジ、ブラッドオレンジと異界植物の交配種だよ」  飲んでみるかね、と差し出されたストローに遠慮無く口付けるくらいには。  少なくともそれくらい、彼とのやり取りを気に入っている、なんてことは、私だけの秘密。
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